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简介:OchyAI通过艺术、研究和哲学传达Ochiai的理念。

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1. 基調講演 「新しい自然観を」 メディアアーティスト 筑波大学准教授 落合 陽一
2.  ウィズコロナ以降の社会で重要なこと  こんにちは。落合と申します。よろしくお願いします。きょうは「新しい自然観を」というタイトルで喋らせていただこうと思うんですけど、テーマは3つあるなと思っています。「華厳」と「共生」と「民藝」あたりですね。先ほど、姜先生のお話の最後がイヴァン・イリイチのコンヴィヴィアリティ(自立共生)だったのが、まさかのシンクロニシティだなと思いました。ぼくのなかでも、自立共生はウィズコロナ以降の社会においてすごく重要だよね、というのがあって、それを中央に据えるとテーマのなかの華厳だ、と。ぼくは華厳思想※1について考えることが多いんですけど、小さなものの中に大きなものをどう見るか、大きなシステムの中のミクロとマクロの部分をどう考えていくかは、おそらく “ 持続可能 ” の中で議論になっていくと思います。
3.  コロナ禍になってから、宴会的なものだったり、身体的な享楽、集団的なもの、つまり身体性や個々人がその社会に帰属性を感じるような儀礼や祝祭のつながりが失われつつある。本来今年は東京オリンピックという社会的には最も大きな祝祭があり、我々は日本人であることを再自覚するはずの年でした。しかしそれが失われたことによって社会に何がもたらされたかといえば、ぼくはコンヴィヴィアリティの消失にほかならないと思います。コミュニティにおける持続的な相互承認の断絶といえるかもしれない。そして、分断された我々が何をしているかというと、YouTube に動画をあげたり、料理する人が増えたりしている。おのおのが家にこもって新しい発見をし始めているんですね。
4.  かつて起きたパンデミック(スペインかぜ)。1920 年の人々がそれをどう受け入れたかというと、西洋では産業革命的自動化から、アーツ & クラフツ(美術工芸)運動の流れがあった。日本では民藝運動が出てきて、提唱者の柳宗悦はその定義を、実用的で無銘で複数性があって、廉価で、地方性、労働性、伝統性、他力性のあるものと言っています。民藝に宿るものは、無心、自然、健康の美である、と。我々が、手の技だったり、身体性、元来ある伝統的クリエーションに回帰したとき、民藝がひとつのテーマになるかなと、今日はそんな話をしようと考えてきました。
5.  自然と共生しながらデジタルを再定義する ぼくがやっているメディアアートとは、2次元映像で表現できないものを彫刻や映像装置や立体物を使って表現することだと思っています。日本科学未来館 3 階のぼくの常設コーナーには、空中に浮いている彫刻とか、ディープラーニング※2でひたすら万物が融けて変わっての繰り返しの映像インスタレーションがあります。たとえば水の1滴が垂れた瞬間、そこから花が芽生えて、出てくるものは虫だったり動物だったり、世の中にあるピースが輪廻転生して再生されていく。見ていると、華厳的だなって、たぶん我々日本のバックグラウンド的には思うはずです。
6.  1970 年代に華厳をモチーフに現代物理学と東洋思想の一致を説いた本が世界的ベストセラーになりました。今、ぼくのなかでは、次はコンピュータの情報的つながりとモノの流転と変遷が再定義されつつある時代かなと感じています。
7.  計算機が自然的風景を持つことは、おそらくみんな実感してきていると思いますが、一方、自然の中には生物が生み出したデジタルというものが含まれています。たとえば、かつて藍藻類が酸素を作り出して、地球環境を改変したように、生物がデジタルを作り出している。我々の DNA は4進法のデジタルで動いているわけだし、神経細胞はデジタルで動いています。
8.  我々は自然と共生しながらデジタルを再定義できるのかというのが、ぼくの長い間の問いです。つまりデジタルと自然の間の関係性、ヒューマンインターフェイス※3はどうするか。アートや表現はどうやって動いていくんだろうということを、ずっと考えているわけです。古典の日記文学と現代のユーチューバーってどう違うんだろうとか、歌会と初音ミク※4の違いは?とか。本質的には変わらない気がしています。仏教の話でよくありますよね。砂が落ちていく、その砂の1粒1粒の間に世界があると。今、我々は砂サイズのコンデンサーを使って、スマホとか組み立てているわけです。砂サイズの部品が世の中に溢れてくると、1粒の砂の中には情報処理装置はあるし、液体の 1 滴にも無数の情報は含まれる。そういう目でぼくは自然を見ています。
9.  コンピュータが “ 民藝 ” をつくるまで ぼくが研究者としてずっとやっているのは、音響浮揚描画技術、レーザープラズマ描画技術、音響レーザー触覚技術です。何だそれ? というと、空中に絵を描くこと。つまりコンピュータシミュレーションしたものと最適に計算された音場(音波の存在する空間)を制御すると、モノが浮いて動いたり、形を作ったりすることができる。パルスの速いレーザーを使って空気の分子を直接光らせると、植物の横に光の妖精が飛んでいるように見えるんですよ。触ると、静電気みたいなチクッとした反応もある。物質とイメージの境界をあやふやにしていくんですね。きわめて魔術的に、人間の目には見えない物理量で特定の形や光を作ったりしていると、その外側に人類はどんな自然を持っているんだろうということに、非常に興味が出てきます。
10.  そういうことをしながら、動物が獲得してきた音や光のコミュニケーションと、物理的なある種のメタマテリアルと呼ばれている形が気になってきた。たとえば人間の目は、レンズがなくても網膜が充分高速だったら光の粒を全部捕まえて見えるはずなんです。でもそんな網膜は持っていないので、レンズで一度変換して見ている。耳はどうかといえば、体じゅうにマイクがついていれば、音のする方向とかも敏感に感じられるはずだけど、そうは進化せずに、耳の奥に毛を生やして対応した。イルカの場合は、頭の先っちょにメロン体という脂肪細胞のレンズがついていて、3 次元ソナーとスマートフォンを内蔵しているようなものです。同じことをコンピュータで作ろうとすると、それは俗にホログラムと呼ばれるものだし、同じ構造を作ろうとすると、それは自然界にはないメタマテリアルと呼ばれるものになる。電波を集めたりする産業ではよく使われていますね。
11.  植物も動物も人類も、自分の細胞を使ってそういうものを作ってきたのだから、コンピュータを使ってそれを設計できることには、そんなに違和感はないわけです。人間は偉大なコンピュータ、自然も偉大なコンピュータだと考えると、そりゃそうですよね、と(笑)。
12.  そんなことをしているうちに、素材をアップデートするようになりました。蚕を使って特定の構造を作るための計算をしたり、3D プリンターで作ったものを変形させたりとかですね。さらに、身体は